人は見た目が100%らしいが君は1000%なので君の勝ち

 

たぶん翻訳するとトンチンカンな意味の英語がプリントされたTシャツに、何年も履いているジーパン(ジーンズ、やデニム、とは言わないのだ)を身につけている。それで、歌うときは顔がすげーブスになる。そんな人を見てわたしは「なんてかっこいいのだ…!」と思う。

 

自分を飾ろうとしないことって、めちゃくちゃ難しい。でも、できる人にとっては簡単だ。そもそも、そんなことに意識が働いていないのだから。

 

 音楽や、美術や、文学や、映画や、その他諸々たくさんの芸術にまつわる知識を、自分を飾るためのアクセサリーとしない人はかっこいい。たぶんわたしは、下心そのものです。「ワタシこんなの知ってんだぜ、おめーら知ってるか?」みたいな気持ちが、自分の中にあるのだと思う。そしてそれは、バレてるはずだ。誰にバレてるかも、見当がついている。わたしがかっこいいと思う人たちには、きっとバレてる。自分超ダセー!恥!

 

 でも、言い訳をさせてもらうと、本当に好きなので知識を得てるんだよな。少なくとも、自分をよく見せたいとは思ってない。(あくまで一人称視点の話)けど、でも自分が好きなものを並べたショーケースを眺めているとき、自分のセンスに全力で感謝する。みんなもそうじゃないですか?わたしは、「うわー!自分が好きなもの最高だな!」と思うし、それが「こんな素敵なものを素敵だと思える自分の感性も素敵!」にまで飛躍する。これは自覚あり。そこが問題なのかな。でも、自分は自分が好きなものには絶対の自信がある。自分自身に自信がなくても。早口言葉みたいになった。つか、そうでもしなきゃ、自分が好きなものに対して失礼。やっぱり自分のためじゃない。

 

 自分をよく見せようとすることって、ミスるとかなり痛いよな。もしもし、みなさん。わたしは痛い人ですか?

 

  ただ、内面から溢れる知性は、強烈なアクセサリーになると思ってる。形、デザインを伴わない、視覚的でなく、感覚的に訴えてくる、かっこいいやつ。お気に入りの指輪をいくつ持っていても、指は10本しかない。その人がどんなアクセサリーを持っているのかは、その人と話してみなければわからない。視覚的に着飾るのは簡単だ、金積むだけなので。経験を伴わないし、楽だよね。でもそれって平面的だな。奥行きがない。

 

・・・誰か、わたしと話してみてよ。