与える

 悲しい?ああ、悲しいかと訊かれたら、悲しいと答えるのでしょうね、こういう気持ちを、人は。わたしにはわかりません。そもそも、悲しいというのがよくわからないのですが、いちいち感情に名前をつけたりして、意味なんてあるのかしら。便利ではあるけれども…。便利が意味になってしまうのは、どこか寂しいような気もいたします。…寂しい。あら、やだ。

 どうしたら堅実な人間を装えるかということについて、考えているところでございます。それが、あなたにはいわゆる『悲しい』ふうに見えたようですね。すこし、具合が悪くなってきたので、お水を一杯いただけますか。

 …お酒でだめになってゆく人を何人も見ました。あれは、とっても愉快ね。ウイスキーを好きな人は、だめ。あれが美味しいなんて人は、女にだらしがないもの。うふふ、まあ、嫉妬みたいなものもございます。でも、本当よ。信じないでしょうけど、いいんです。わたしは、ウイスキーを飲む男は、愉快で "素敵" だと言っているのですよ。水しか飲まないわたしって、男からはつまらないと思われているのかしらね。いやだ、冗談です。わたしはこれでじゅうぶんです。あなたにどう思われているかなんて、どうでもいいのです。あ、今のは、投げやりになったんじゃないの。

 「教養がない人とは結婚できない」と言われたことがある?わたしはあります。もう、びっくりしちゃって、ああ、この人教養の意味もわからないの、おかわいそうに、と同情してしまいました。それでもやっぱり、そのときは怒ってしまった。そして、こんなことで取り乱すなんて、やっぱりわたし教養がないのだわと、あとで反省いたしました。それからは、本を読んだり、映画を観たりして、教養というものを身につけようとしているつもりですけれども、あのお方には、相変わらずわたしは教養がないように見えるのでしょうね。わたしは学校へは行きません。…今も引きずっているのよ。あの言葉だけね。

 それで、堅実な人間を装うことが、あなたとわたしがこうしてお話しするきっかけになったわけですけれども、悲しい人の顔に見えるのならば、やめにします。だって、情けないわ。それに、疲れた。ああ、もっと心の底から笑ってみたい。わたしが怒ったのは、わたしがもっとも人間らしい瞬間でした。そうね。わたし、今すこしだけ悲しいのだけれど、話を聞いてくれる?