爪が伸びゆくそのスピードで

誰にも読まれない言葉の行列がここに存在している。

大衆性に逆らうことは、一見賢いようで実は幼稚。せめて、そこが、さんざん彷徨った挙句に流れ着いた先であってくれ。

流動のスピードや圧や質にはすべて意味がある。意味を持たないものなんて、まさしく無意味だ。

たとえその意味が言語化できないとしても、言語化以外の表現の方法が許されていることの理由は?すべて言葉で伝えられるなら、今すぐに小説家にでもなればいい。そこまで拘るのなら、音楽も絵画もファッションも写真もすべて捨てることだ。

わたしはここに意味のない言葉など一言も置いてはいない。

ただ、この流動に置いてけぼりを食らっているのは誰なのかということは未だ知らない。