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踏まれても根強く思へ道芝のやがて花咲く春は来ぬべし

 焦燥感を抱えたまま駆け抜けたような歳月は、もう振り向かなければ見えない位置にあった。形のはっきりしない、ぐにゃりとした19歳という生き物だったわたしは、よく戦ったと思う。

 

 久しぶりに、小学校の卒業アルバムを開いた。卒業文集には、将来の夢と題して、「自分は新聞記者になりたい」と綴っていた。今はもう新聞記者になりたいとは思っていないけれど、(あまりに個人的ではあるが)物を書いているという点では、方向性は変わっていないような気がする。

 小学六年生のときの担任は、わたしが今まで出会った身近な大人の中で尊敬している、数少ないうちの一人だ。そう思えるようになったのは、小学校を卒業したあとのことで、残念ながら当時は大嫌いだった。

 わたしが新聞記者になりたいと思ったのも、この先生が新聞の切り抜きをさせる宿題を頻繁に課してきたからである。切り抜くだけならまだしも、考察なども書かされた。とても面倒な宿題だったけれど、この宿題のおかげで新聞を読むのが好きになり、新聞記者を志してしまうまでになった。

 また、日本語の他に英語はもちろん、スペイン語、中国語の三カ国語を自在に操る、小学校の教諭としては非常に珍しいタイプの先生だった。かつては青年海外協力隊発展途上国にも派遣された経験のある、それはもうとにかく素晴らしい人だった。

 先生を大嫌いなことに変わりはなかったが、あらゆる意味で影響を受けた。なぜあんなにも嫌いだったのかは、今となっては思い出せないほどだ。おそらく、宿題が面倒だとか、授業のやり方が独特すぎるとか、やたらと厳しいとか、そんなことが理由だったと思う。振り返ると本当にくだらないけれど、それが子供というものなのだろうと思う。理解には必ず時差が生じる。長い時間をかけて子供の成長に向き合うということは、孤独である。しかし、その先生はそんなことも物ともせずに、真剣に教育者という立場を全うしている先生だと思う。

 そんな先生に聞きたいことがあり、久しぶりに連絡をすることにした。住所も電話番号もわからず、Facebookで名前を検索してみると、先生の名前の写真が一致した。すぐにメッセージを送った。すると、返事が返ってきた。8年ぶりに、先生と話をすることができた。尊敬する恩師との会話は、懐かしさと新鮮さが入り混じって緊張したと同時に、便利な時代であると感心した。恩師と話すと、8年前の感覚に戻ってしまう。近々、直接会いに行こうと考えている。尊敬という感情そのものにすら、尊さを感じた不思議な瞬間だった。

 

 

 わたしは今日までに出会った人たち皆に感謝している。人生の意味を、出会いの中に見出したような気がする。

 

 ありがとうございます。