吐け

 平日の昼間からひとりでふらふらと公園へ行き、遊具に頭を強打して帰ってきた。収穫は頭痛のみである。ブランコにも乗ってみた。子どものころよりもうんと高いところまで漕ぐことができたが、ただ単に体が重たくなっただけのようであった。公園には、わたしの他にもうひとり男がいた。というよりは、インクの滲まない白い紙が風に吹かれてぱたぱたと音を立てていた。それは無論男のものであるが、男は白紙よりも存在感が無く、まさに彼こそ白紙と呼ぶに相応しいとさえ思えた。頭痛を感じながら、自分は白紙でないという理由をどうにか考えてみたが、ふいにドラッグストアの陳列棚と匂いを思い出して、さっきまでの思考は突然何もなかったことになった。

 帰りの電車で、住宅地が窓の外にしばらく張り付いていた。捨ててきた田舎と同じような景色がいつまでも目の前にあって、とたんに死にたくなった。人身事故で遅延の表示を駅で見かけると、こんなわたしですら腹が立つのである。そして、そのような自分がたまらなく憎いのだ。こんな人間に死んだあとも人様の怒りを買うような真似はできまい。大人しくこの街で生きるほかないのだと、それはある種の絶望でもあった。座りながらつり革にしがみつく老人を見ていられないので、目的地まで立ったままで行く。譲るという行為を回避するのは、善である自分を客観視すると、見るに耐えないほどインチキくさいからである。善人を演じていることが自分にばれてしまうこと以上の恥はない。

 100円の頁の匂いは知っている わたし以前のわたしのこととか