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六畳一間で人生ゲームをしたい

自分が何をしたいのか、さっぱりわからなくなってきた。

 

ただ、青森を出て東京で暮らしたいという漠然とした思いだけはずっとあって、「生活」というハードルの低い夢を見ている。

田舎に生まれ育ったことを恨んだことはない。むしろ、幸運だとさえ思っている。田舎者だから、こんなに東京に対して強く憧れることができているのだ。

誰かの「東京で生まれた人は、どこでアイデンティティを形成していくんだろう」という言葉を覚えている。

はじめから満たされている人たちは、何を思い、何を望み、何を作り出すのかということに、わたしも興味がある。

 

大学に進学する金も頭も無いし、再就職も考えていない。

まだ関東にいた頃、ネカフェに泊まった次の日の朝、早稲田大学の学祭にそのまま向かった。わたしがやりたいことも、たぶんこの中にあるのだろうなとなんとなく思ったけれど、ここで勝ち誇ったような顔をしている人の顔は気味が悪かった。ただ、あの場にいた人の中でわたしが一番酷い顔をしていたことは間違いない。全員睨みつけて帰った。ただの恨みだ。本当は全部羨ましかった。

実家に帰ってすぐ、ゴディバのアルバイトの面接を、就職のときに買ったリクルートスーツを着て受けた。けれど、久しぶりに家族以外の人と会話をしたせいで、返事の声の適切な大きさがわからなくて、バグったスピーカーみたいになった。もちろん採用の電話は来なくて、それからはバイト探しもろくにしていない。

わたしみたいな社会のレールから脱線した人間は、前に進むことはなくこのまま終わってしまうのだろうかと思う。

 

何の目的も無いまま東京に出ることに、自分でも疑問を持ち始めた。

音楽や絵で飯を食いたいとか、そういうはっきりとしたものがない。ただぼんやり、好きなことで暮らせたらそりゃあいいに決まってるけど、という気持ちだ。通り魔に刺されて死ねばいいのに。

 

褒められ慣れていないから、たまに周りが褒めてくれることを真に受けてしまう。ただ、何をしても褒めてくれない母が、唯一褒めてくれるのが絵だから、少しやってみようかなとは思う。たぶんもう会えない気がする友人も絵が好きだから、いつかまたばったり会えるかもしれない。

普段は過剰なまでの自信が、今は皆無だけれど。「才能がないことは言い訳にしてはいけない。」みたいなことを、ぼくのりりっくのぼうよみも言ってた気がする。

 

 

杉並区には、わたしの苗字と同じ地名の場所があるから、やりたいことが見つかったらそこに住もうと考えている。