信号を渡りきれないとそこは墓場

 『華の金曜日』という言葉が好きだ。 金曜日になると、ある光景を思い出す。

 エリートたちが吐いた、ゲロと煙草の煙と冴えない自分を呪う言葉。冷たいコンクリートの上は、泥酔した彼らにとって格好のダンスフロアと化す。電車が次々に運んでくる騒音にも気が付かず、狂ったように吼え続ける彼らに、BGMは必要ない。その顔は、威圧感のないビルにさえ埋もれて、安っぽい街の明かりに照らされる。短いスカートの女の足下に置いてあった缶が誰かに蹴倒されて、こぼれ出たビールの残りがコンクリートをゆっくりと汚していく。簡易的な壁で囲われた喫煙所の中からは、ひっきりなしに黒い笑い声が漏れている。ここに、アイデンティティというものは存在していないようにすら見える。自己は、アルコールと一緒に次の日の朝には抜けていくのだろう。理不尽な日々を噛み砕き、受け入れるために飲み込み、そして吐き出す。すべてはこの繰り返しである。立ちこめる異臭は、消化しきれなかった日々のにおいなのだ。

 コンクリートの上の吸い殻の数だけ、情けない人生がある。高田馬場駅前の光景を、わたしは毎週思い出す。