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この世に、脚が生えた魚がいるって、知ってる人は、あんまりいない

 もし今日が11月1日だと気づいていたら、部屋の掃除をしたり、洗濯をしたり、買い物に行ったり、できたのかもしれない。だけど、わたしには今日が何月何日で、何曜日なのかわからない。昨日が10月31日だったということは覚えている。だけど、10月31日の次は11月1日だということが、なんとなくわからなくて、だらしのない10月の続きを過ごしてしまった。カレンダーにはない空白の時間が、世界中でわたしだけに流れているようだった。

 

  西武鉄道の黄色い車輌から、鷹の台で一斉にあふれ出した人々は、玉川上水の長い一本道を通って、ぞろぞろと同じ場所へ行く。服装や、髪型や、化粧を見れば、この人たちと目的地が同じだということがわかる。

 高校生のころ、同じ孤独を抱えていたと思っていた人は、今はもう孤独ではなかった。すでに完成している輪の中に、今さらわたしが入る隙なんて、どこにもないのだ。輪はもうとっくに繋がっていて、なにも欠けていない、それが『完全』な姿なのだ。恐ろしくてたまらなかった。わたしの目の前で、輪ができあがる瞬間が、もう孤独ではない人がその輪の一部であることが、全てが怖かった。

「待ってたよ!」

「遅いよ!」

「早くお化け屋敷入ろう!」

「やっぱり怖いからやだよ」

「だめだよ、早く!」

わたしが不在でも十分に成り立つ普通の会話が、わたしのすぐそばで聞こえる。劣等感や嫉妬というのは、本当に惨めで、情けない。自分には、彼女たちと同じ時間に、同じ舞台に立つことは、二度とできないということが、悲しかった。他の言葉で飾るよりも、ただ『悲しい』だけのほうが、ぴったりなくらいに、悲しかった。

 

絵が上手い人なんて、世の中には腐るほどいて、それでも絵で食っていくと決めて、やっぱりどうしようもなくて、本当に腐っていく人も、腐るほどいる。美大に行きたいと思っていた。腐ってもいいので、ただ、自分自身が救われることを、続けたいと思っていた。お金さえあれば、誰でも入れるわけじゃない。みんな、美術予備校に通ったり、浪人生だってたくさんいるし、それでも卒業後に報われるのは、ほんの一握りだ。でも、その時間が楽しければいいと思っていた。意味のない高校3年間に上書きする、意味のある4年間を過ごしたかった。実際は、就職する以外に選択肢はなかった。わかっていたから、努力もしなかったのだと思う。はじめから諦めていた。才能の無さを知るのも怖かった。親の言いなりなんて情けないと他人を批判していたけど、境遇は違えどわたしだって同じだ。逆らえなかったことを言い訳にして、自分を可哀想な子だと可愛がっている。今も。

 

 魚はいつも、するりとわたしの手を抜けてどこかへ行ってしまう。もう、ずっと捕まえられないし、わたしはただ水面から魚が泳いでいるのを眺めて、美しいと思うだけだ。敵わない。追いつかない。

「またいつかどこかで会おう」

とメールが届いたけれど、きっともう会うことはないだろう。完全な輪を目の前にして、どうすることもできなくなったわたしは、そのままなにも言わず来た道を引き返していた。あんなに憧れていた場所を、足早に去っていた。ライブペイントをしていた女の人も、フリーマーケットで手作りのアクセサリーやトートバッグを売る人も、みんな『完全』なのだった。いくつもの『完全』を通り抜けてやっと校門の外に出たところで、はじめて涙が出た。

 

 みずいろの飴玉を噛み砕く だいだいの飴玉はゆっくり溶ける