知らんおっさんの残していった温もりの上に座る

 六本木を歩いている犬!だらしのない女(ex.わたし)のようなバキバキのキューティクルとは正反対の、さらさらの毛並みがビル風に吹かれている。犬と目が合う。なんて気高い瞳なのだ。

「負け犬は、そっちよ」

と犬に言われた気がした。

「はい、ほんとにそう思います。あなたが羨ましいです、ちょっと聞いてくださいよ。わたし、ついこの間、仕事で」

犬はそっぽを向いた。聞く耳持たずである。ミニチュアダックスフントの垂れた耳は、負け犬の人間の愚痴を聞く用の耳ではないらしい。飼い主に引かれ、犬は短い脚をせっせと動かして行ってしまった。去り際に犬は振り返り、

「ま、せいぜいがんばりなさい」

と負け犬に向かって言った。

 

 駅に向かう途中、青山の歩道橋の階段を登っていたら、歩いている人がみんな同じアルファベットの書かれたパーカーを着ていることに気づいた。流行りなのかと思ったが、よく見たら大学のイニシャルだった。わたしも集団で着る用のTシャツとかつくろうかな。白衣とかかっこいいよな。白衣にしよう。だれか、着てくれる人いないかな。

 

 渋谷スクランブル交差点に背を向けて地下改札に降りた。登ってくる人はみんな仮装している。わたしも今日は売れない純文学作家の仮装をして街に出てみたんだけど、気づいてくれた人はいたのだろうか。

 東急東横線の急行元町・中華街行に乗る。電車の中は普段と変わらない。反対方面の電車の中はきっと賑やかだろうと想像する。菊名で、土曜なのにも関わらず、スーツを着て働く知らんおっさんの残していった温もりの上に座る。人肌恋しい季節を一人で歩き回って、知らんおっさんの残していった温もりだけが、わたしに優しかった。