わたしを田舎者だと笑えばいい

 高円寺にやって来た。駅を出てすぐの「純情商店街」の文字に惹かれ、目的地とは正反対の道を選んだ。

 個人経営の古い不動産屋の前に、亀がたくさんいたので、しゃがみこんで眺めていた。すると、上下を黒色に身を包んだ上品な老婦人が歩いてきた。「あら、亀」と言って、わたしの隣に立ち止まって、大きな動きをするわけでもない亀を、ただ二人でじっと眺めていた。

「気持ち悪いわねぇ……」

 老婦人の突然の言葉に耳を疑った。あまりに熱心に眺めていたので、気持ち悪いなんて言うと思わなかったのだ。無類の亀好きとまではいかなくても、慈愛に満ちた心で一緒に眺めていたと思っていたのに。わたしは、用意していた「可愛いですよね」という言葉を飲み込んで、代わりに「ははは」と、どうしようもない作り笑いした声を、ほとんどゲロのように吐いた。去り際に老婦人はもう一度「やっぱり気持ち悪いわ。」と言い残していった。亀は伸ばしていた首をゆっくり縮めていった。そんなに申し訳なさそうにしないで。亀は悪くない。

 店の中には、中年の男性が椅子に深く腰掛け、退屈そうにしていた。わたしは中に入り、高円寺のワンルームの家賃相場を尋ねた。窓ガラス一面に、さまざまな物件の情報が張り出されてあるけれど、なんだかこのおじさんと話してみたくなったのだ。さっきの老婦人とのやりとりを聞かれていたのだろうか、おじさんはなんだか冷たい口調だったが、4.5万円から、6万円くらいだと教えてくれた。そして、あるアパートの物件の情報が書かれた紙を一枚くれた。店を出る際、お礼のあとに「亀、可愛いですね」と付け加えた。おじさんは「ありがとう」と言ったあとで、ようやく笑顔を見せた。本格的に部屋を探すときは、この亀がいる不動産屋にしようと決めた。

 いつもなら、グーグルマップを頼りに目的地を目指すが、気の向くままに商店街を歩いてみることにした。

 八百屋も精肉店も魚屋もスーパーも、道をすいすいと通り抜けていく自転車も、そのすべてから、飾らない「生活」の匂いがした。わたしの理想どおりの道が、ずっとまっすぐ続いていく。

 どこへ行ってもカレーを食べたくなる。今日は、食べログなんか見ずに、「カレー」の看板を目指して歩いた。途中、何軒もカレー屋はあったけれど、どれもピンと来なくて、商店街は出口を迎えてしまった。すると、商店街の果てにカレー屋を見つけた。なんだか怪しいと思って、しばらく様子を伺っていたけれど、店の外にあったメニューをめくってみたら、「冨永愛さんもここの常連客です」と書いてあったので、迷わず入店した。今日は冨永愛はいなかった。冨永愛どころか、客が一人もおらず、そこにいたのは、インド風の派手なメイクと民族衣装に身を包んだ、通称「ナマステママ」だけだった。

 ナマステママは、わたしがさっき不動産屋でもらった紙を見て、「お部屋探しですか?」と微笑んだ。部屋を探しに来たわけではないけれど、話すと面倒なことになりそうだと思って(失礼)「そんな感じです」と、すごく微妙な嘘をついてしまった。

 店内はインド一色なのに、BGMがサザンオールスターズだったので、インドと高円寺に茅ヶ崎が乱入する異国極まりない(と言っても実際には2カ国だけ)空間だった。そして、注文したメニューは、名物だという「粟お鷄カレー」。高円寺は阿波踊りが盛んらしい。そこがそもそもよくわからないけれど、インドと高円寺と茅ヶ崎と徳島という、イギリスフレンチトーストピザ味にも似たような、もはや戦争みたいなカレーこそが高円寺の味で、もちろん美味しかった。

 お会計の際、「お部屋、見つかるといいですね」とナマステママは言ってくれた。「はい。高円寺に住めるようになったら、このお店に通おうと思います」と答えた。これは嘘じゃない。だって、冨永愛に会ってみたいじゃないか。高円寺は、これからお世話になる街なのだと思い、高円寺の阿波踊り協会みたいな団体にカレーのお釣りを募金して店を出た。

  そして今、この高円寺の旅を振り返っているのは、アール座読書館の窓際、2番の席である。アール座読書館は、私語厳禁の空間で、水槽の水の音と、本のページをめくる音、誰かが飲み物を啜る音しか聞こえない。各々がコーヒーや紅茶を飲みながら、本を読んだり、勉強したり、絵を描いたり、ただぼーっとしたりしている。

  机の引き出しの中には、何冊ものメモ帳がある。そのどのページをめくっても、過去に同じ席に座っていった人たちの苦悩が、その人の言葉と手書きの文字で書いてある。ツイッターとは違って、生々しい筆の跡がしっかりと残っている。どんなに良い言葉や共感を持てる言葉に出会っても、「いいね」なんて親指を立ててサインする人はここにはいない。ただ、行き場のない言葉たちが、この引き出しの中にそっとしまわれて、ずっと残っていく。一瞬で流れていくタイムラインのような忙しなさはここにはない。名前も顔も知らないけれど、たしかに自分に似た人の悩みは、どれもとても残酷で、美しい。

 キャラメル・ヴァニラというフランスの紅茶を注文した。大きな声を出せないので、注文するときも、離れたところにいるマスターに気づいてもらえるまで、ちらちらと目線を送って呼ぶのが、とても心地よかった。紅茶なんて普段は飲まないけれど、こんなに紅茶を美味しいと感じたことはなかった。ここ以外で飲む紅茶を美味しいと感じることはきっとないだろうと直感的に思った。

 今日は気温が30度を超えて、10月とは思えない暑さだったけれど、今16時を過ぎて、秋の風を感じながらこれを書いている。せっかく素敵なお店に来ることができたので、持ち歩いているクロッキー帳に今日のできごとを書いてみることにした。たぶん、帰りの電車でうとうとしながらスマートフォンを使ってブログの下書きをしているんだろう。(実際には、東京駅から最寄り駅まで超満員電車で、座ることすらできなかった)

 

今まで、東京には何度も足を運んだ。高円寺へ来る途中、中央線に乗っていたら、窓の外に後楽園の大きな観覧車が見えて、なぜか胸が苦しくなった。早くも、東京は思い出だらけの街になりつつある。東京を歩いていると、化け物みたいな無数の才能といくつもすれ違う。自分なんか、と思わせる暇すら与えない。

 誰かが「東京は住むところじゃない」と言う。 はたして、本当にそうだろうか?わたしは、亀の不動産屋に紹介してもらった安くて狭いワンルームの部屋を、通りがけに見つけた花屋で売っていた小さな花でいっぱいにしたい。そして、たまにナマステママのカレーを食べて、冨永愛に会えるかもしれないという希望に毎回裏切られて、笑いたい。