死体になっても涙を流してやる

 前回の投稿から、ずいぶんと間が空いてしまった。

 何も考えずにただ泣き笑い、そうして日々を消化できる歳頃を過ぎた。いつからか、手帳に予定を書き入れることがわたしにとっての延命措置となっていた。ページをめくって、まだまだ先だとため息をつきながらも、その日を信じて待つ。

 その日は必ずやってくる。まるで、電車が駅のホームに滑りこんできて、幸福のもとへ乗せて行ってくれるような、そんな気持ちになる。だけど、電車はあっという間にそれぞれの終点に到着して、強制的にわたしたちは電車から降ろされる。そして、また不幸のホームでわたしたちは一人ぼっち、幸福の電車がやってくるのをどうにかやり過ごして待つのだ。本当の終点は、死なのだろうか。それならば、何度でも電車に乗って、窓からいろいろな風景を眺めていたい。

 急ぐのは好きではない。点滅する青信号に向かって走り出すほど、必死にたった今この瞬間にしがみついているわけでもない。だけど、焦燥感が拭えない。生き急いでいる自分に気づいて、ハッと目を覚ます。

 今、わたしは、わたしがわたしでなくなることを最も恐れている。今いる環境、今関わっている人たちに染まっていくことを、慣れだとかそんなもののせいにして、自分を失うことが怖い。自分のことが大嫌いと言って、だけど自分は特別だと心のどこかで信じている。こんなわたしのことを誰よりも深い愛情を持って支えられるのは、わたししかいないのだ。消えない劣等感も、薄れた自尊心も、全て含めたわたしは最高よ。わたしに生まれたことを誇りを持て。

 

このまま死んでいくくらいなら、死体になっても涙を流してやる。