人生のハードルの高さが年々下がっている

 小学生の頃は、足が速いと人気者になれた。それなのに、高校生になると、制服を着崩したりして、それなりにオシャレであることが要求された。学校行事では、みんなでお揃いの髪型(宇宙人みたいなやつ)をしたり、いつも一緒にいるグループに名前をつけたり、(その大半はわたしの耳にも届いていたけど、どれもセンスが無いなと思っていました)他には、スマートフォンのインカメラをいかにうまく使いこなせているかとか、休み時間には好きな友達と机をくっつけてお弁当を食べるとか。とにかくみんな忙しそうだった。高校生というブランドの消費期限が切れる前に、すなわち腐ってしまう前に、必死なように見えていた。40人ほどいた教室が6つ並んだ廊下、あの校舎のすべては、冷蔵庫みたいな役割を果たしていて、腐敗を遅らせるためだけの箱だったのか、と。実際に冷たかった。みんな高校生というブランドを愛していたけど、結局誰も逆らえなかった。いつまでも高校生でいたいなら、留年すればいいのに、どうやらそういうことでもないらしいから難しい。小学生の頃と比べると、足も遅くなっているし、それだけじゃなくていろんな意味で置いてけぼりをくらっている。周回遅れで、あの教室にいたように思う。わたしはずっと小学生だったなら、うんとうまくやっていけていたはずだ。

 今日は仕事が休みなので、10時過ぎまで眠れた。起きてすぐ、洗濯物がたまっているのを見つけて、そろそろ洗濯をしないと着る服がなくなると焦るけれど、どうもやる気が起きないので、リモコン一つで点くテレビの便利さに感動する。本当は洗濯だって機械がやってくれるのだから便利なのだけど、立ち上がることすらできない。そして、何時間もかけてやっと洗濯をする気になって、最後の靴下を洗濯バサミでパチンととめたあとに、それはもう窓の外を歩いていた人は立ち止まってこちらを見て拍手して「おめでとう!」と称賛の声をくれるのではないかと思うくらいの達成感を得る。窓を開けたら、風が涼しくて季節の変化を感じて嬉しくなった。外には誰もいなかった。仕事をしていると、時間も曜日も季節も何もかもわからない。

 歳を重ねるごとに、求められることが高度を増してきている。社会的なハードルはもう雲の上である。棒高跳びでも越えられない。それに反比例して、わたしは洗濯を済ませただけで喜んでいる。自分で設定した人生のハードルはどんどん低くなって地面とすれすれだ。世間との差はどんどん開いていくばかり、足が速くなれば、この差も埋められるか。