日記にまつわる日記

 ノートを最後まで使い切ることができないまま、新しいものを買ってしまう。実家にある学習机の引き出しの中は、使いかけのノートでいっぱいだった。一冊ずつ開いてみるが、どれもはじめの二、三ページには日記のようなものが書かれていて、あとはずっと余白だった。いわゆる三日坊主というやつである。しかし、三日坊主もある程度積み重ねれば習慣になるらしい。日付は、ノートを換えながらもほとんど繋がっていたのだ。追っかけをしていた体育教師を観察したメモや、わたしをいじめた者をひたすら呪い続ける言葉や、自分で作った架空の出会い系サイトの構想など、見返してみると、どれも気味の悪いものだった。母には、わたしが丸めてゴミ箱に捨てた紙切れをほどいて盗み見る癖がある、と思い込んでいたので、ノートに何かを書いた日は、いつも気まずい思いをしていた。特に、出会い系サイトの構想を練った日は、大変な重い罪を犯したような気持ちだった。ゴミ箱にすら捨てられないような恥ずかしい記録は、こうして引き出しの中に溜まっていった。楽しくない日々の日記なんて、とても他人に見せられるようなものではないのだ。そもそも、わたしには学生時代の記憶があまりなくて、興味関心はほとんど学校の外に向けられていたことが、このノートたちからもよくわかった。

 姉には妄想癖のようなものがあった。証拠として、姉の部屋からもノートが見つかっている。姉はまるで脚本家のようだった。姉がいない隙に勝手に部屋に侵入して、ノートや姉の持っている本を漁るのが、わたしの密かな楽しみだった。そして、母も姉のノートの存在を知っていた。わたしに向かって、姉のノートの内容について話してきたのだ。わたしもその内容を知っていたが、「ああ、わたしも見たよ」なんて言えるはずもなく、知らないふりをするのに精一杯だった。前述した母の癖の疑惑は、ほとんど真実であったように思う。遺伝子レベルでわたしたちは攻撃し合っていたのだ。

 もはや手遅れであるが、高校を卒業して実家を離れる際に、ノートのはじめのページは破いて捨てた。燃えるゴミ用の袋に入れ、きつく結び目を縛ってそのまま集積所まで持って行った。四十五リットルのゴミ袋二つ分、かなりの重さがあった。もしかしたら焼却場でわたしの日記だけが燃えずにひらひらしているかもしれない。頼むからうまく燃えてくれと手を合わせた。部屋に残されたノートは、さっきと大して厚みの変わらない、まるで新品のようだった。こうして、わたしの部屋からは後ろめたさが消えた。わたしの学生時代は無事に燃えてくれたようだ。

 日記というものは本来他人に見せるべきものではないということを忘れるな。ブログを書きたいなと思って、まずはじめにこんなことを思い出しました。