やさしいあなたへ

 「放つ」という日本語がもつ神々しさ。はなつ。意味通りの開放感と、発音したときの心地よさ、「つ」の余韻。見届ける余裕みたいなものを感じて、明るい言葉だなと思う。

 

 わたしは誰かを傷つけることに抵抗がない。いちいち人の痛みなど推し量ってやるやつの気が知れん。所詮、推測は推測でしかなく、多くの場合は同情止まりだろう。わたしより酷なことをしている人間。わたしは誰かの罪に加担するのではない。わたしはわたしのためにしか生きられない。わたしにはわたしの罪があり、一生ぬぐえないそれを連れて生活するしかない。逃れることは情けない。感情に背けない。そこに他人の陰など映らない。わたしは優しくないが、同様に優しくない誰かに責められる筋合いもない。信頼した人、裏切られた人、信頼された人、裏切った人。オセロゲームに付き合う暇は誰にだってないでしょう。わたしはわたしのために生きていくだけなのだから、目まぐるしくひっくり返る白か黒の二極で、盤の上で、いちいち他人を気遣うなんて、そんな嘘くさいことはできない。いい人を演じることはできても、いい人にはなれない。罪悪感なんて、病的な自惚れの、いよいよの末期症状だ。せこい。開き直るのも快くないが、償うことのできない罪について嘆くよりはいくらか軽い。後々になって心が痛むくらいなら、常に真の善人であり続けること。わたしにはそんなことできない。できないから、ドブ水でも啜っている。

石を吐く

 部屋が汚い。カップラーメンの残骸とか飲みかけのペットボトルが落ちているような不衛生な『汚い』でなく、ものが多くて散らかっている状態の『汚い』。

 久しぶりに開いたノートに書いてある言葉から、使えそうなものだけを残して、あとは捨てた。

 「肩書きは要らない。わたしの名前に価値をつけてもらう。」

 記憶にもなく、なんかいいなと思ったのはこれだけだった。

 

 大好きな友達が言っていた。

「口だけはよくない。」

 ハッとした。ハッとするだけは、よくない。

いつか死ぬ。

 人はいつか死ぬ。きっと、なんてぬるいことを言う隙もなく、必ず死ぬ。

 きのう、本当に意識の外で、車道に向かってふらふらと歩いていた。何もつらいことは思い当たらず、それが原因だったかもしれない。踏切を渡るすこし手前だった。やってきたのは、救急車だった。我に帰った。ここまで自分を馬鹿だと思ったことはなかった。じゃあ、それならば、わたしはいったいどうしたらよいのか、そんなこと、そんな自分勝手なことも、二度と言えず、またふらふらと夜の中を、今度は道に沿って歩いたのだった。

 だから今日は、おとなしく部屋にいる。窓にはガムテープが貼られてある。こんなもの、剥がすのは簡単だ。簡単だけど、剥がせないのは、何もかも怠惰だからだ。怠惰というのもたまにはよい。

 滞納している年金の封筒が、白からピンクになったので、次は赤だ。

 「思慮深いんだね」

 と言われた。頭の中から出られない。それなのに、なぜか車道や窓に吸い込まれるのはどうかしている。

 いつか、いつか死ぬ。いつか死ぬのだから焦る必要はない。いつか死ぬ。いつか死ぬ。これだけがこの世の真理であり、いつか死ぬこと以外のすべては虚構だ。

窓辺にて煙吐きつつ口ずさむ君は誰から教わった詩を

偶然および尖りつつある目尻

 コンビニエンスストアは24時間ひかり続け、行き場を失ったわたしを無機質なガラスの動きで受け入れてくださる。情を持ち込まないスマートで清潔な関係。今日ずっと、吐きそうだった。帰り道で唾を吐くような雨が降った。わたしはいつになったら女をやめられるのだろうと思っていたけど、とくべつ男になりたいわけでもなかった。ビニール傘みたいに、いつでも買えて、簡単に手放すことができる。忘れたふりをすることにも罪悪感を感じさせない。透明って、どこまでも酷だ。こんなものに守られるくらいなら、唾でもなんでも浴びてたほうがよっぽどましなんじゃないの。捨て身で中央線に乗る。もしかしたら、中央線に乗れないくらい貧しいかもしれない。しかしいったいそれがどうしたっていうのだ。ああいいさ。かまわぬ。なにも恐れてはいないし恐れてはいけない。くたばって死ぬもまた使命。輪廻、その先でまた会えたらいいね。「もういいよ」とわたしを呼ぶ声がしたので顔を上げたら、誰もいなかった。どこからどこまでが幻だったのだろう。

 

中央線 理想の果てより遠ざかり 新宿、ナイフ、冷めた珈琲

8月のすべて

  恐怖について話そう。うまれた田舎でただ老いていくこと。国道を突っ切って自転車で走る夜。精一杯なのにやりきれないネオン。『現在警報・注意報は出ていません』の文字。安定した生活の果て。白い壁の隅に集まる陰。真実。嘘。

 「あなたを駄目にするものをみっつ、挙げて?」

 わたしは残りふたつを答えられない。わたしを駄目にしてきたものは、たったひとつということ?「でも、だって」と言うたびに増えていく瓶の中の十円玉は鈍い光を放ってこちらを見ている。

 家を出る前、落として芯が折れたステッドラーの3Bの鉛筆。どこに転がったかわからない、しっとりとした黒の欠片で足の裏を怪我するときがくる。膨らんだカーテンの裾は、いつかのブランコとよく似ていたよね。フローリングの幅は心のゆとりとよく似ているから、あなたも自分の部屋の床を、見てみるとよい。白い雲を追い越したのはあの3Bの鉛筆で塗りつぶした雲だ。悪いことなんて長くは続かない。櫛で梳かした祖父の白髪のような雲も、今日の朝ごはんで食べた大皿に乗ったほっけの開きみたいな雲も、すべて、この窓の外を横断していった。

 人生を悲観したようなわたしの視線が、曲がり角から現れた真っ白な女の子とぶつかって、それはそれは大変な事故を引き起こした。マジックミラーなんかじゃない、現実世界のわたし、見られている、見ている、共存している、ひとり対ひとり対ひとり対ひとり対ひとり対・・・の、あああああ。

 コンセントから散る火花、触って、いや触れない。

 金魚の水槽の裏に貼った観覧車の写真も、水が濁ってなんにも見えない。これ以上あなたは大きくなれない。なぜなら、ずっとこの水槽の中から出ることはできないから。おお、金魚様。自由をうたって旅に出る、人間どもを、どうか、どうかお許しください。

 わたしは溢れたパチンコ玉より惨めである。確変なんて起こらないから楽しくない。パチンコ誌の最後の広告が好きだった。人妻とセックスできるサイト、怪しいパワーストーン、金の浴槽に浸かったデブのおっさん、精力剤、そういう低俗なものが大好きだった。救ってくれ。いつか。

 わたしを駄目にするものをみっつ挙げて?

「でも・だって・母」

 誰かのために己を捧げることが、尽くすことが、それが幸せなら、二階の窓は風を光を取り込むためではなく、浮遊感と長い眠りを溶かした確固たる意志を称えるためのものよ。

 背中を押してくれ、誰か。

若者です

 夏なのか秋なのかわからないような気候にもすっかり慣れ、それなりの暮らしとそれなりの人脈の中で、血を吐くことも皮膚を削ぐこともなく、記憶にない指の切り傷がたまに痛む程度の、今日です。

 冷蔵庫を開けると、横になった緑色の瓶が左右に揺れて、飲み口の近くには小さく白い泡が浮かんでいました。

 青森駅前の喧騒と呼ぶにはささやかな音と光を想像することはできても、未来のことなどちっとも見えやしない。北斗七星が傾き、やがて沈んでいくのを眺めては、安心することしかできない、わたしです。

 街に並ぶ箱の中にはそれぞれの生活があり、誰ひとりとして干渉することなど、できないのです。幸福の仮面を被っているわたしには、夏と秋の混じった夜風がちょうど良い薬でしょう。

 指折り数えることに飽きるほど、わたしはこれからも生きていくのです。夜に、ブランコから飛び降りた放物線が、はっきりと見えた。その軌道に迷いはなく、わたしは本当の幸せについて知る。

 買ってきた弁当、愛のない言葉、『家族』とは生まれつきの疾患で、いつかの夜の中でなら、仮面を破って笑うこともできる。

 わたしたちはまだ若者です。