背筋を伸ばせ

 東京の地下を走る間にも、雲は絶えず形を変えて流れていることを、わたしたちは忘れてしまっている。見えないことは、存在しないこととイコールではない。

 わたしたちは水じゃないから、100℃ぴったりでは沸騰しない。あなたの感情の沸点は?わたしの怒り、喜び、悲しみのすべてに、水銀が反応してくれたら、いいのに。

 あーっ、久しぶりに、疲れた。

マチネ

 幸せな夢を見た。たぶん、昨日の晩は窓を開けて眠ったからだろう。目が覚めたら、犬のぬいぐるみ(春日と名付けたシベリアンハスキー)の手を握っていて、恥ずかしかった。

 みんなが笑って暮らしていれば、いいなと思った。綺麗事とよく言うが、汚いより綺麗なほうがいい。

19歳にて

渋谷・・・京王井の頭線の改札前の、ガラス張りの大きな窓から、スクランブル交差点を見下すのが好き。どれだけの数の人がいたって、会いたい人が不在の渋谷は無人も同然。いつも無人の波を見ている。

 

新宿・・・クズの摩擦で光る街。

 

六本木・・・ミニチュアダックスフントに話しかけられ、軽く見下される。そのあとこちらからお散歩中のトイプードルに話しかけ、人生相談をした。「負け犬はそっち」と言われる。

 

表参道・・・顔を上げて歩くことすら許されない。生き地獄。

 

下北沢・・・トイプードル率が高い。居心地が良いようで、実はそうではない。全てを見透かされているような気持ちになり、結局すぐに帰る。

 

高田馬場・・・ゲロ。

 

高円寺・・・この世で一番美味しい紅茶を飲むことができる街。冨永愛に会えるかもしれない希望を含んでいる街。なみじゃない、杉並。

 

浅草・・・銀座線の果て。ここへ来るとビールを飲みたくなるけど、下戸。隅田川沿いを走るランドセルを見ると、涙が出る。東京で生まれた人は、どんな気持ちで大人になっていくんだろう。花火が綺麗だったから、結局、死ねとは叫んでない。

 

 

 

 

箱入り娘

 

 その乾いた赤ん坊は死体ではなかった。

 口元に寄せられた赤ん坊の手に、恐る恐る自分の人差し指を近づけてみると、赤ん坊は力無くそれを握った。

 生きているということにただならぬ安堵を感じた。

 まったく記憶のないこの子は、自分の腹から産まれたのだという。この子の誕生日を尋ねられても、わたしは答えることができなかった。今日は3月29日である。だいたい1週間ほど前に産まれたのだろうと予想はつくが、箱の中で1週間も声を上げず、何も飲まずに、赤ん坊が生き延びるなどあり得ないことだった。そういえば、名前も知らない。自分の子であるということ自体が信じ難い。しかし、周囲の反応から察するに、この赤ん坊は自分の子に間違いなかった。この子の父親について誰も尋ねてこないことは奇妙ではあったが唯一の救いだった。

 まずわたしは赤ん坊を風呂に入れた。

 

 

 目が覚めた。

人は見た目が100%らしいが君は1000%なので君の勝ち

 

たぶん翻訳するとトンチンカンな意味の英語がプリントされたTシャツに、何年も履いているジーパン(ジーンズ、やデニム、とは言わないのだ)を身につけている。それで、歌うときは顔がすげーブスになる。そんな人を見てわたしは「なんてかっこいいのだ…!」と思う。

 

自分を飾ろうとしないことって、めちゃくちゃ難しい。でも、できる人にとっては簡単だ。そもそも、そんなことに意識が働いていないのだから。

 

 音楽や、美術や、文学や、映画や、その他諸々たくさんの芸術にまつわる知識を、自分を飾るためのアクセサリーとしない人はかっこいい。たぶんわたしは、下心そのものです。「ワタシこんなの知ってんだぜ、おめーら知ってるか?」みたいな気持ちが、自分の中にあるのだと思う。そしてそれは、バレてるはずだ。誰にバレてるかも、見当がついている。わたしがかっこいいと思う人たちには、きっとバレてる。自分超ダセー!恥!

 

 でも、言い訳をさせてもらうと、本当に好きなので知識を得てるんだよな。少なくとも、自分をよく見せたいとは思ってない。(あくまで一人称視点の話)けど、でも自分が好きなものを並べたショーケースを眺めているとき、自分のセンスに全力で感謝する。みんなもそうじゃないですか?わたしは、「うわー!自分が好きなもの最高だな!」と思うし、それが「こんな素敵なものを素敵だと思える自分の感性も素敵!」にまで飛躍する。これは自覚あり。そこが問題なのかな。でも、自分は自分が好きなものには絶対の自信がある。自分自身に自信がなくても。早口言葉みたいになった。つか、そうでもしなきゃ、自分が好きなものに対して失礼。やっぱり自分のためじゃない。

 

 自分をよく見せようとすることって、ミスるとかなり痛いよな。もしもし、みなさん。わたしは痛い人ですか?

 

  ただ、内面から溢れる知性は、強烈なアクセサリーになると思ってる。形、デザインを伴わない、視覚的でなく、感覚的に訴えてくる、かっこいいやつ。お気に入りの指輪をいくつ持っていても、指は10本しかない。その人がどんなアクセサリーを持っているのかは、その人と話してみなければわからない。視覚的に着飾るのは簡単だ、金積むだけなので。経験を伴わないし、楽だよね。でもそれって平面的だな。奥行きがない。

 

・・・誰か、わたしと話してみてよ。

 

 

 

失いたくないものと得たいものの間を走る丸ノ内線

 嘘の跡わたしの皮膚に残してまで君が伝えたいことは何?

 

 模範解答は嘘

わたしが髪を切る理由

 きのう髪を切ってもらった。

 伸ばそうと思って、去年の秋頃から切らないでいたのだけれど、いよいよ限界がきた。肩くらいまで伸びて、後ろで余裕で髪を結べるくらいになっていた。これは、わたしにとってなかなか珍しいことだった。

 高校生の頃は、毎日鬱屈していたので、アルバイトで稼いだお金で散財することと髪の毛を切ることで気を晴らしていた。髪の長さと憂鬱さは比例すると思っていた。

 髪の長い女の人は、意志が強くてかっこいい。

 髪の短い女の人は、潔くてかっこいい。

 ある友人は、わたしに「肩くらいまで伸びている今くらいのほうがいい」と言ったけど、わたしはそう思わない。

 まず、髪を伸ばしていると「あいつ男ウケを狙っているのではないか」と思われていそうでつらい。根元から黒い髪(本物)が生えてきて、ブリーチして色の抜けた髪(偽物)がどんどん追いやられていく様子を見るのもつらい。いろいろつらい。

 ただ、短いほうが似合ってると思う。

 久しぶりに、そんな理由で髪を切った。